言葉にできない感情を手渡していく──山中瑶子の記憶に残る贈り物と映画から受け取ったもの

取材・執筆:羽佐田瑶子
撮影:小財美香子
編集:瀬尾陽(awahi magazine編集部)

19歳で自主制作した映画『あみこ』がPFFアワード観客賞を受賞。そして、河合優実さんを主演に迎えた長編デビュー作『ナミビアの砂漠』が、第77回カンヌ国際映画祭 国際批評家連盟賞を受賞し、国内外で話題を呼んだ映画監督の山中瑶子さん。高校生で映画に夢中になり、国内外の映画からさまざまな感情を受け取り、自身も映画を通じて、言葉にできない世界のあちこちにある感情を伝えています。そこには、美しいだけではない感情もあるもの。贈り物をすることの難しさと格闘しながら、山中さんの記憶に残っている大切な贈り物の物語を伺いました。

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贈り物の最適解がわからない。子どもの頃の“貢ぎ癖”

山中さんは、よく贈り物をされますか?

子どもの頃は“貢ぎ癖”があって、友だちに喜んでもらえそうなものを見つけるとプレゼントするタイプでした。24色水性ペンセットのような、小学生にしては高価なものを送ってしまって、相手の親からクレームが来たことも(苦笑)。贈り物の最適解がわからなくて、年齢を重ねて「相手からドン引きされているな」と感じられるようになってから、その反動で贈り物をしなくなってしまいました。

映画監督になってから逆の立場になって、贈り物を“される”ことが増え始めました。最近はいただいてばかりなので、自分も積極的に贈り物を“する”側にそろそろなりたいです。

子どもの頃の“貢ぎ癖”というのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

物欲みたいなものが幼い頃からあって、新聞に挟まれているチラシを見ながら「この中から欲しいものを1つもらえるならどれがいいか」という一人遊びをよくしていました。欲しいものがたくさんあったんです。それが、だんだんと「友だちがこれを持っていたら喜ぶだろうな」「きっと似合うだろうな」という考え方に変わっていって。友だちが何気なく「◯◯が欲しいな」と言ったら、頑張ってお金を貯めて買ってあげていました。

でも、「欲しい」って言っていたから頑張ってプレゼントしたのに、びっくりされるんです。その反応に、こちらがびっくりしてしまって。中高生くらいでようやく「私って距離感がおかしいのかも……」と気づいて、貢ぎ癖が落ち着きました。

親御さんなど近しい人で贈り物をするのが好きな方がいて、その影響もあったのでしょうか?

というより、自分が欲しいものを全く買ってもらえなかったのが大きかったと思います。母が教育熱心で、マンガもゲームもダメで本しか買ってもらえなくて。誕生日も、親が決めた良いものを贈られたり。

たとえば、まだサンタクロースを信じているときのクリスマスに、欲しいものを具体的に提示して「サンタさんに伝えておいて」って母にお願いしたんです。そうしたら、全然違うものが届いて。母に「なんで、ちゃんと伝えてくれなかったんだ」って、しゃくりあげるくらい大泣きしました。

大人になると、親がセレクトした贈り物のほうがセンスも質も良いことはわかるんですが、子どもの頃の自分好みではないので嬉しくなくて。でも、よく考えたら母も私が一生懸命選んだ贈り物を、全く使っていないんです。マッサージ機が入っているぬいぐるみをあげたんですけど、振動が弱すぎたみたいで実家に転がっています(笑)。

相手が喜んでくれる贈り物を選ぶことって難しいですよね。最近は贈り物を“される”ことが増えてきたと仰っていましたが、どんなものをもらったんですか?

仕事関係の年上の方々が、私の食生活を気にしてくれていて、一風変わった調味料や無農薬の有機野菜など贈ってくれるのが、大人としてカッコいいなと感じます。先日は高級な海苔をもらって、「これが大人か……」と噛み締めました。

「いい暮らし」になるような贈り物って、嬉しいですし非日常感がありますよね。

そうなんですよね。私は家がめちゃくちゃなので……もらったものが家の中で異質な存在になるというか、そこだけ輝いて見えます。ぐちゃぐちゃな冷蔵庫の中に、大分から届いた無農薬の冷凍トマトがあると神々しくて。それが生活の支えになっています。

冷凍トマトは、どのように楽しまれたんですか?

いただいたときに、「これでトマトソースかラタトゥイユか、ロールキャベツを作るといいよ」とレシピを指定してくれたんです。パスタを茹でて、トマトソースをかけるくらいならできるかもと思って、半日かけてトマトを解凍して、鍋で1〜2時間煮詰めました。言われたとおりにやるのが結構好きで、自分の生活の延長にはないことを体験できるのも楽しかったです。このためにストウブを買ってそれっきりなので、また何か作りたいです。

先輩から贈られた本と手紙

山中さんの心に残っている大切な贈り物の話を聞かせていただけますか?

高校1年生の終わりくらいから映画にハマって、当時入っていたバトミントン部を辞めて、映画ばかり観ている時期がありました。部活を辞めるとコミュニティがなくなってしまって、さみしいなと思っていたときに、別の高校に進学した友人が軽音楽部に入っていたんですね。私も軽音に入りたかったけれど学校になかったので、友だちが演奏するライブハウスに何度も出入りして、いろんな高校の人たちとつながりができました。

そこで、東京の大学に進学していた2個上の先輩に知り合いました。当時の私は映画に没頭していたので、バイトで貯めたお金で、映画を観るために長野から東京に通っていました。そのときにその先輩が泊めてくれたり、ご飯を食べさせてくれていて。高校3年生になって受験が始まり、あまり東京に映画を観に行けなくなってしまったら、先輩から綺麗なハンカチに包まれた『夜と霧』が贈られてきたんです。

綺麗なハンカチに、ヴィクトール・フランクルが書いたナチスの強制収容所に収監された小説を包むなんて、素敵な方ですね。

あと、そこに同封されていた手紙がすごく良かったんです。「勉強は頑張っていますか。来年には瑶子ちゃんも東京に来ると思うけれども、東京という街は気を抜くと重力に逆らえず泥に沈んでいくので、気をつけていただきたい」といった内容で。そのためには「太陽と月にたとえるならば月のような存在になる人をいち早く見つけることが大切です」と書かれていました。『夜と霧』を読めば、どういう環境に置かれても自分の魂の状態を高く持ち続けられる、といったことが書かれていると。すぐに『夜と霧』を読んでみたんですが、当時の私には難しくてしばらく置いていました。それでも手紙は頻繁に読み返していました。

それから、3〜4年くらい経った頃だと思います。『夜と霧』を改めて読み込んだら、グッときて……もらった当時は全く太刀打ちできなかったけれど、折を見て自分の人生に入ってきてくれた感じがありましたし、先輩が20歳のときに2個下の後輩にこの本を贈ろうって思うのが、とてもいいですよね。中高生の頃の、ずっと先輩を追い越せない感じを思い出します。

『夜と霧』は山中さんにとってどのような作品になりましたか?

打ちのめされましたね。本を読んだあとに、関連する映画を観たり資料を探したりして……人間とはいったい何なのだということを深く考えるきっかけになったと思います。先日、アウシュビッツの強制収容所にも行きました。道中の飛行機で読み返したら、初めて読んだときの重さがなくて軽やかにページをめくれて、自分自身とこの本の距離がまたグッと変わったんだなと不思議な気持ちになりました。

映画も小説も、出会うタイミングによって受け取るものが全然違いますよね。

『夜と霧』を読みながら、何を書いて何を書かないのかっていうところまで思いを馳せることができた気がします。限られた文量のなかでどこに触れるのか、実際にアウシュビッツに行ってみてヴィクトール・フランクルが見ていた景色や記憶みたいなものと照らし合わせてみると、結構軽やかな本だなという印象に変わりました。先輩から贈られなかったらしばらく手に取ることもなかったと思いますし、アウシュビッツにも能動的に行かなかったと思います。お手紙も、今でも大事にとってあります。

その後、先輩と会われて贈られた本や手紙について話すことはありましたか?

面白かったのが、先輩にお会いしたときに「お手紙を何度も読み返しているんです」と言ったら、あんまり覚えていなくて(笑)。書いた側は手元に残らないから、内容なんか覚えていないものですよね。その一方向な感じが手紙の良いところだなとも思います。

差し出された強い思いも一旦引き受けられるようになる

大人になってから、贈り物を選ぶときはどういう基準になりましたか?

相手のことをよく知っている場合は、その人が好きそうなものにしちゃいます。まだ関係性が深くない方の場合は、自分がときめいたものや思いつきで買います。でも、贈り物を選んでいるときにときめきが行き過ぎて、冷静じゃないときがありますよね。旅先とか、深夜だったとか。後日贈る相手に会うときにふと冷静になって、「これは違うな……」とあげずに引っ込めることもあります。

小学生の頃のドン引きまではいかないけれど、相手に拒否されるかもしれないという恐怖があるんですかね?

「こういうガラクタを楽しむ人じゃない」「嫌かもしれないな」と思ってしまって。子どもの頃の苦い記憶があるので、嫌がられるのは避けたくて、贈り物については“守り”に入っているかもしれません。もらって嫌な人は居ないだろうな、という視点で無難なものを選びがちになりますよね。

ときめきが行き過ぎてしまう“ときめきハイ”のときに、どんなものを買われたのか気になります。

最近は海外に行くことが多かったので、使い道も形状もよくわからないものを買うことがありました。香港に行ったとき、向こうの言葉で“電光石火のような革命”と書いてある、3Dプリンターで作られた、そこそこ大きなオブジェとか(笑)。

喜んでくれそうな方ではあったんですが、自分が好きな色で買っちゃったので、ショッキングピンクだったんです。色がダメかもしれないと思って、自分のものにしてしまいました。人の家の景観を壊すことや、自分の主張が強すぎて見るたびに思い出させるのも申し訳ないな……とか、意外と慎重なんです。

でも、お話を聞いているとオブジェが欲しくなりました(笑)。大人になると贈り物を受け取る側も成長して、差し出された強い思いも一旦引き受けられる。意外といろんなものを楽しめるのかもしれないと思いました。

そうかもしれないですね。この間、作家の朝吹真理子さんに各国で買った雑多なものたちを贈ったんです。アニメっぽい絵柄のギャルが描かれたプラバンのストラップと、現地のアーティストのすごく堅い陶器の何かと、チェコのモグラのアニメの靴下と……「この人はなんでも大丈夫だろう」という信頼があったので、全部違うジャンルでも何も気にせずあげることができて、自分的に嬉しかったんです。それを、どんな人にでもやればいいのかもしれないですね。

映画は言葉にできないものを手渡せるメディア

数々の映画を観ていらっしゃるので、映画から受け取ったものはありすぎると思うのですが、ここ最近ご自身にとってギフトのようだった映画はありますか?

旧作ですが、アルフォンソ・キュアロンの『天国の口、終りの楽園。』を見返したんです。エネルギーを持て余し気味な高校生の男の子二人が魅力的な人妻と出会って、3人で存在するかわからないビーチ“天国の口”までドライブするロードムービー。男の子のどっちが先に人妻を寝取れるか、という一見すると悪しきホモソーシャルな関係性の映画に見えるんですけど、最後のほうに3人でキスをするんですね。それがあまりにも自然な流れで。言葉にするのは難しいんですが、そこで男の子二人もキスをしないのは不自然なくらいで、その後の関係性の変化も含めてラストシーンがすごくいい。映画は言葉にできないものを手渡せるメディアである、ということが凝縮されていると思いました。

あと、車窓から見える景色に当時の社会や政治が映っていて、そこにも驚きました。誰かが不当に警察に逮捕されていたり、事故が起こっていたり。しょうもない三角関係をあえて前面に出していますが、かなり秀逸な映画だなと思います。

以前、『ナミビアの砂漠』にクランクインする前に観ていた作品として『パリ13区』(監督:ジャック・オディアール)を教えていただいて、そこにも言葉にできない世界のあちこちにある感情が映っていた気がします。

そういう映画が、ものすごく好きなのかもしれないですね。若い頃は良さがわからなくて受け取れなかった映画も、年を重ねるごとに多くを受け取れるようになったのかもしれません。逆に、若い感性で勝手に解釈をして、過剰に受け取りすぎてしまう映画もあるなと思います。昔すごく影響を受けた映画を最近見直したら「なんだこれ」と辟易してしまって、今の私の心を1ミリも動かさないこともあるんだなと思いました。

自分の中でも大切なものや価値観が変わっていますもんね。年齢を重ねるにつれて、映画から受け取るものが変わってくるのかもしれません。

そうじゃない映画ももちろん良いのですが、現在地を指し示してくれるような映画がありますよね。世界のあちこちにある感覚、感情みたいなものをあまり明解にしようとも言語化しようとも思ってこなかったんですが、やはり『天国の口、終りの楽園』のように、言葉にできない感情を手渡してくれる映画はすごくいいな、と思います。

山中瑶子(やまなか・ようこ)

1997年3月1日生まれ、長野県出身。日本大学芸術学部映画学科に入学後、同校を休学中に19歳から20歳にかけて『あみこ』を制作。同作はPFFアワード2017で観客賞を受賞し、ベルリン国際映画祭、香港国際映画祭はじめ、多数の海外映画祭に出品された。河合優実を主演に迎えた『ナミビアの砂漠』は、第77回カンヌ国際映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞した。「新藤兼人賞2024」金賞、「第6回大島渚賞」等、数々の映画賞を受賞。