聴く人の個人的な思い入れに真正面から向き合う。TENDREが語る、暮らしと音楽の中にある循環

取材・執筆:村上広大
撮影:高木亜麗
ヘアメイク・スタイリング:村田陸
編集:瀬尾陽(awahi magazine編集部)

ベース、ギター、鍵盤、サックスと多彩な楽器を自在に操るマルチプレイヤー河原太朗。ジャズミュージシャンの両親のもとに生まれ、音楽が日常に溶け込む環境のなかで育まれた彼の感性は、やがて独自の表現スタイルへと昇華されました。ソロプロジェクト『TENDRE』では、ジャズ、ソウル、ロック、R&B、HIPHOPなど、多様な音楽的ルーツを巧みに織り交ぜ、メロウでありながらも芯の通った耽美なサウンドを紡ぎ出しています。

今回のインタビューでは、河原さんがこれまでの人生で大切にしてきた贈り物にまつわるエピソードから、『TENDRE』という名に託した意味とその変化、さらに世代をつなぐ存在としての自覚まで。音楽家として、人として、何を受け継ぎ、何を未来へ渡していきたいのか。その考えをじっくりと語っていただきました。

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大人になって気づく質の良さ。いまでも使っている祖母のタンス

今日は個人的な贈り物の話から、もう少し抽象的な循環にまつわる話まで、いろいろ伺えればと考えています。まずは、河原さんの印象に残っている贈り物にまつわるエピソードを教えてください。

このお話をいただいたとき、真っ先に思い浮かんだのは、祖母が使っていたヴィンテージの木製タンスです。もともと実家で使われていたのですが、僕が一人暮らしをはじめるときに「これを持っていきたい」とお願いして譲り受けました。独り立ちしてから十年近くになりますが、いまでも使っています。もしかしたら、自分の中で思い入れがいちばん強い贈り物かもしれません。

おばあさまはどんな方だったんですか?

祖父の仕事の関係で世界中を旅していて、「この前、世界一周してきたのよ」なんてさらりと言ってしまうような人でした。熱海のマンションに住んでいて、各国で集めたお面やインドネシアの神様のような置物がずらりと飾られていました。子どもながらに「これ、おもしろいなあ」と眺めていた記憶があります。

おそらく海外の家具やお土産を集めるのが好きだったんでしょうね。母からは、質のいいものや長く使えるものを大切にしていた人だったと聞いています。なんでも「古き良き」でまとめるつもりはありませんが、そうした感覚を暮らしに取り入れるのってすごく大事だと思うんです。僕自身、できるだけ長く愛用できるものを選んでいきたいと考えています。

そうした「もの」に対する意識はいつ頃芽生えましたか?

一人暮らしをはじめてからですね。「実家にあったあの家具が、自分の部屋にあったら嬉しいな」とか「あのとき実家にあった家具や小物って、実はこんな背景があったんだ」と気づく瞬間があって。子どもの頃は気にもとめていなかったんですけど、自分の文化的な興味や美意識を深めていくなかでいろいろ見えるようになったんだと思います。

たとえば、うちの家にペンギンのかたちをした電飾があるのですが、それは両親が一時期ボストンに住んでいた頃に買ったものらしくて。僕自身、ペンギンに特別な思い入れがあるわけではないのですが、実家にずっと置いてあったものだから見慣れているし、自分の暮らしの一部にしたくなって譲ってもらいました。そういう実家の風景を持ってくるみたいなことは多いかもしれません。

ものを通して記憶や文脈をたどっていく感覚が、とても河原さんらしいと思いました。

どうなんですかね(笑)。でも、バランスの問題だと思います。一方で昔話ばかりで盛り上がる飲み会は、どこか物足りなかったりするので。もちろん、そういう時間も大切なんですけど、そこに甘えすぎると前に進めない気がしていて。

過去の思い出を大切にしつつ、それをベースに、いまやこれからの話ができるといいなと思うんです。会話が未来に向かって咲いていくイメージというか。母親がそういうタイプなんですよ。話すときに過去といまをつないでくれるんです。その影響が自分にもあるのかもしれません。


楽曲提供を通して、相手の気づいていない一面を引き出せたら

では、河原さんが誰かに贈り物をする立場のときはどんなことを考えていますか?

贈る相手との距離感やシチュエーション、お祝いごとの内容によって変わってくるのですが、「気の利いた」とか「粋な感じ」という感覚は大切にしています。その人にかける言葉のように、その瞬間のひらめきで選ぶことが多いですね。

ただ、自分の趣味をそのまま押し付けるのはなんか違うなと思っていて。どんな贈り物にせよ、その人の生活を彩るようなものがいいですよね。そのうえで、ふとした瞬間に思い出してもらえて、面白がってもらえるものが理想かなと思います。

TENDREとして、ほかのアーティストへの楽曲提供もされていますよね。それはある意味「贈り物」と捉えることもできると思うのですが、どんなことを意識して曲をつくっていますか?

楽曲制作のオファーをいただけるということは、僕のつくる曲の温度感をある程度わかっているという前提があると思うんですね。だから、アーティスト本人もまだ気づいていない一面を引き出すきっかけになるような曲を届けられたらと考えています。たとえそこまでいかなくても、その人の人生において、何かしらアイデアのかけらのようなものになってくれたらいいなと。でも、一方的につくって贈るよりは、僕にできないこと、相手にできないことを二人で掛け合わせながら一緒につくっていくほうが好きですね。

その掛け合わせの際、相手と自分の意見のバランスはどう考えているんですか?

基本的には、オファーをくださった方の意見を優先しています。その人の作品である以上、イメージや方向性は尊重したいなと。でも、せっかく一緒にやるからには「何かしら面白いことをやろう」という姿勢も大切にしていて。相手の世界観を大事にしながらも、自分なりのアイデアや感覚もきちんと差し出せたらいいなと思います。

そのためには、相手の人となりを知ることが大切なんですね。だから、楽曲制作の前にはできるかぎりコミュニケーションを取るようにしています。それで、どんなことを考えているかを擦り合わせたり、相手の癖を知ったり。

癖ですか?

たとえば、目の動きひとつで、曲の印象が変わることもあるんですよ。そういう些細な反応を見ながら、「この人にはどんな音が似合うかな」と思考を巡らせています。音楽は目に見えるものではないので、相手の人間性を知るのが近道なんです。

それから、僕のなかで「曲づくりはちょっと笑えたほうがいい」というマイルールがあって。レコーディングも完璧なテイクを目指すより、「あのときのテイク、なんかやばかったよね!」と後から思い出せるくらいのほうが未来に残っていきやすいんじゃないかと思うんです。そういう瞬間を相手と一緒につくっていけたら嬉しいですよね。

寛容でいたい。優しさを支える、しなやかな強さ

この『awahi magazine』では、なにかとなにかの間(あわい)にある「循環」をひとつのテーマに掲げています。河原さんは、人との関係や音楽づくりのなかで何か巡っていると感じることはありますか?

それで言うと、循環のような感覚は昔からあったような気がします。うちは両親ともにジャズミュージシャンで、子どもの頃からジャズバーによく連れて行かれていました。だから、バー特有の空気感や、ミュージシャン同士のコミュニケーションの在り方が無意識のうちに染み付いていて、いまの自分の音楽や生活全般に影響を及ぼしていると思います。

それは具体的にどんなところに表れていると思いますか?

自分のムードに合わせて柔軟に変化していくところでしょうか。そもそもジャズって、変化を受け入れながら続いている音楽なんですね。うちの母もスタンダードナンバーをアジアンテイストにアレンジして歌っていましたが、そうやって自分の気分や雰囲気によって曲調を変えていくことは当たり前にあって。自分が音楽で表現するときも、そのときのムードやフィーリングに合わせて変化させるようにしています。

河原さんがTENDREとしてデビューしてから現在までの7年間で、何かしらの影響を受けて自分自身が変化していると思うことはありますか?

僕は『TENDRE』を屋号のように捉えているのですが、想像以上にこの名前が自分のことを導いてくれたように感じます。語源となっている「tender」という言葉には、「優しい」「柔らかい」「感動しやすい」「心配性」などの意味があって、自分の人間性と重なる部分が多いように感じたんですね。だから、アーティスト名にしました。

最近は、そこに「寛容さ」のニュアンスも加わってきていて。もしかすると「柔軟」と言い換えてもいいのかもしれませんが、いずれにしても、そこに“ある種の強さ”が含まれているような気がするんです。

なぜ寛容さに惹かれたのでしょうか?

そもそも「優しい」ってすごく広い言葉じゃないですか。優しくするだけが優しさではないですし、厳しさのなかに表れることもあれば、絶望の奥にふっとにじむように存在することもある。だから、自分なりの優しさの在り方を持っていないと、すぐに意味がぶれてしまうんですよね。

そういう姿勢の大切さをあらためて感じたのが、ORIGINAL LOVEの田島貴男さんとの会話でした。数年前、僕が曲づくりの大変さについてぼやいていたら、『TENDRE』という名前を褒めていただいたうえで「優しさって実は覚悟がいるよね!」って。優しくあるって、きれいごとじゃなくて、自分を律する覚悟のうえに成り立つものなんだっていうことを気づかせてくれました。その覚悟を決めるために必要なのが、寛容さなんじゃないかなと。頑なになったり極端に偏ったりせず、良いことも悪いことも、まずは受け止めてみる。そういうしなやかな姿勢を大切にしたいんです。

その寛容さは曲づくりにも表れているものなのでしょうか?

そうですね。たとえば、ストレートに意味が伝わる歌詞もあれば、意味はよくわからないけれどなぜか伝わる歌詞があってもいい。丁寧に綴った手紙のような曲もあれば、子どもの落書きのような曲があってもいい。

一方的に届けるのではなく、僕からのある種の「問いかけ」として差し出して、聴いた人がそれぞれのタイミングで自由に想像を膨らませられる余白がある音楽をつくれたらなと。そういう柔軟さを支えるのも「自分がどれだけ寛容でいられるか?」という問いなんだと思います。

世代をつなぎ、音楽的発見を届けられる存在に

過去から未来へと続く「音楽」という大きな文化の枠組みのなかで、河原さんは先人へのリスペクトと自分なりの表現をどう両立させていきたいと考えていますか?

ジャズ、ソウル、フォークミュージック、歌謡曲など、過去の音楽からは多大なインスピレーションを受けていて、そうした音楽に対するリスペクトは常に自分の音として表現していきたいと思っています。

ただ、結局のところ、音楽制作における究極の目的って自分のためだと思うんですね。もちろん、仕事として誰かのために曲をつくることもありますし、ファンの方々や音楽を何も知らずに聴いてくれる人にどう受け取ってもらうかということも、制作上の重要な要素として考えます。でも、根本の部分では自分が納得できるアーカイブを残していきたいという気持ちが強くて。だから、いまも音楽を続けているんじゃないかなと思います。

では、音楽的な文脈のなかで、どのような役割を果たしていきたいですか?

最近は、自分がちょうど上の世代と下の世代の間にいる“つなぎ役”のような立場だと感じることが多いんですね。中間管理職的というか(笑)。上には田島さんのように面白くて魅力的な先輩がいて、下にはかっこいい音楽を鳴らす後輩がいる。そうしたなかで、自分はその両者を繋ぐ役割を果たしていきたいと考えています。「こういう考え方もあるんだ」という音楽的な発見を提供できる存在でありたいなって。

それが将来的な偉業になるかはわかりません。でも、いまの自分にとっては、とても楽しくて。創作の初期段階では「なんでこんなことを……」と弱音を吐くこともありますが、その先にあるものは自分の生きた証にもなる本当にかけがえのないものなんです。と同時に、この時代を面白く生きていくうえで、誰かにとってのスパイス的なものになってくれればと思っています。

いま、「時代」という言葉がありました。「自分が生きる時代に何を残すか」はミュージシャンにとって大きなテーマだと思います。河原さんはどう考えていますか?

それは多くのミュージシャンが日々考えていることだと思います。でも、明確な答えがない問いでもありますよね。リスナー数や再生回数のような数字をひとつの指標にすることもできます。でも、芸術って本来、数字で測れるものではないと思うんです。絵画に点数をつけないのと同じように。

再生回数を伸ばすためのノウハウがあるのはわかっているけれど、僕はつくり手が込めた思い以上に、聴く人がどれだけ個人的な思い入れを持ってくれるかのほうが大切だと思っているから、そこに真正面から向き合いたいんです。

つい先日も「結婚式でTENDREさんの曲を使わせてもらいました」とか、「亡くなる間際の祖母にTENDREさんの曲を聴かせたら『いい曲だね』と言ってくれました」といった声をいただいたのですが、それってものすごくありがたくて、ものすごく尊いことじゃないですか。

再生回数上の「1」は表面上すべて同じ数字ですが、おばあちゃんが最後に聴いた曲のように意味や重みはひとつずつまったく異なりますよね。

そうなんですよ。一方で、音楽の消費サイクルはどんどん速くなっていて、誰かの思い出になる前に次のトレンドへと移ってしまう。だからこそ、一過性の盛り上がりにとどまるだけではなく、人の記憶に深く残っていくような曲をつくっていきたいですね。

TENDRE(テンダー)

音楽家

ベースに加え、ギターや鍵盤、サックスなども演奏するマルチプレイヤー、河原太朗のソロプロジェクト。2017年12⽉にTENDRE名義での6曲⼊りデビューEP『Red Focus』をリリース。2023年、活動5周年を迎え、8都市8公演のワンマン・ツアーを開催(ツアーファイナルZepp DiverCity Tokyo)。そして12月にはAL「TENDRE / 5th Anniversary Album ~ IN WONDER & BEGINNING ~」をリリースした。