
「『ものを大切にする』って、どういうことなんでしょうね」。
ものを贈る、ものをいただく。「もの」を介すことで、言葉以上に想いを託せることもあります。文筆家の伊藤亜和さんの作品にはご家族を中心に、さまざまな人々にまつわる記憶や感情の機微が記されていますが、「大切なもの」とは何なのでしょうか──。そんな私たちの質問に、伊藤さんから投げかけられたのは、思いがけない「問い」でした。
父親との決別を綴ったnoteを機に文筆家として注目され、最近ではテレビやポッドキャストなど活躍の場を広げている伊藤さんの心に残る「もの」とは。「ものを贈る」ことにどんな意義を見いだしているのでしょうか。
祖母からもらった指輪を、質屋に預けた
伊藤さんが大切にしているものは何ですか?
真っ先に思い浮かんだのは、アクセサリーですね。高校生の頃に祖母からもらったものです。18金のネックレスや指輪、ブローチとか、ちょっと高価なものがずっしりと箱にまとめてあって。真ん中にルビーの入った指輪もあったのですが、当時は今よりもがさつだったので、いつのまにか失くしてしまいました。ただ、実は昨日、もうひとつあった18金の指輪を質屋に預けたんです。
お恥ずかしい話ですが、仕事はありがたくいただいているとはいえ、税金の支払いとかタイミングがほんの少しズレると手持ちのお金がなくなり、貧困状態に陥ることはこれまでも何度かありました。ちょうどその波が昨日、来てしまったというか……。かなり大きな決断ではあったんです。一線を越えてしまったというか、「これは人としてどうなんだろう?」と思いながらも、あくまで一時的に預けている、という気持ちではいます。

おばあさまはどうしておかあさまではなく、伊藤さんにアクセサリーを託されたんでしょう?
どうしてなんでしょうかね……唐突にもらったんです。何というか、私の母親はわりとさっぱりした人で、一人でも生きていけるようなタイプなんです。家族としてはそれなりに仲は良いのですが、私は初孫でもありましたし、他に女の子の孫もいなくて、かなり可愛がられたほうだったと思います。
祖母は身につけるものをすごく大切にしていましたが、祖母の世代でそうしたものをあげるということは、「何かあったときに足しにしてほしい」という意味なのかな……と、都合の良いように解釈しています。
というのも、私が生まれる前、酔っぱらって不慮の事故で亡くなった伯父がいたのですが、彼も同じように、祖母からもらった18金のネックレスを首に下げていたらしいんですよ。それで毎日のように飲みに行って、飲み代がなくなると質屋にネックレスを預けて、そのお金でまた飲む。祖母がお金を持って質屋へ行って、また買い戻す……。その繰り返しだったそうです。
そういえば一昨日、祖母が唐突に昔のことを話してくれて。祖母は青森出身で、小さな頃からいろんなところに預けられて育って、行く先々でいじめられて、学校も転々として……20歳くらいには一人で横浜に出て、働いて暮らしていたそうなんです。そんな祖母を唯一可愛がってくれていたのが、祖母の祖母だったらしくて。横浜に出て数年経ったある日、バナナが売られているのを見て「どうしても祖母に食べさせたい」と、久しぶりに青森へ帰郷したんだそうです。でも青森に着いたときには、祖母の祖母はもう亡くなっていた。今みたいにすぐ連絡する手段もなくて、「すごく悲しかった」って、涙声で言うんですよ。
おばあさまはよく、伊藤さんの持ち帰るお土産の値踏みをすると著書(『わたしの言ってること、わかりますか。』)にも書かれていましたが、その背景を伺うと少し見え方が変わってきますね。
そうですね、「高いでしょ、これ」って、必ず言うんです。でもそうやって考えざるを得ない生活をしてきたんだろうな、と思いますよね。一人暮らしを始めて少し距離ができたぶん、祖母とは以前よりもよく話すようになったような気がします。私も祖母にはほとんど親代わりのような感じで育ててもらったなと思いますし、少し縁のようなものを感じます。
やっぱり祖母が私にいちばん願っているのって、死なないこと、元気でいることだと思うんです。自分の息子を早くに亡くしたことは、心の傷になっているんだろうなと感じることもありますし……伯父に会ったことはありませんが、指輪を質屋に入れて、ちょっと手が触れ合った気もしているんです。情けない話ですが。
ものを通じて、絆が感じられることはありますよね。
最近、結婚が決まって、婚約者を実家に連れていったのですが、私の写真が大量にあるんですよ。祖父がアマチュアの写真家だったので、自分で現像した写真なんですが、子どもや孫ごとにアルバムがあって、きちんと時系列に並んでいて。弟や他の孫の写真もありますが、やっぱり初孫だったので、私だけ異様に多いんです。押し入れから出して、彼と二人で見ていたのですが、あまりに多すぎて途中で断念しました(笑)。
中学生の頃に父と母が離婚して、家族としてはバラバラになってしまったけど、写真を見るとかわいがられていたんだな、愛されていたんだなと感じます。父とは10年以上会っていませんが、よく褒めてくれたのは父だったな、と。

おとうさまに対する気持ちは、時間が経つにつれて変わってきましたか?
……あまり変わっていませんね。まったく理解できない人ですが、セネガルの国民性なのかなと思っていたらそうでもないらしく、父の知り合いのセネガル人に聞くと「あなたのおとうさんは手がつけられない。“暴れ馬”だ」と。でも私にも似ているところはあって、たまにプチっとキレるのは完全にそうだし、お金の使い方もどんぶり勘定。
家族で私だけが父と会っていなくて、こないだも母が父と会ったら「亜和の彼氏が来てるんだろ?」と言っていたみたいで……どうして知ってるんだ、という話なんですけど。焼きもちを焼いていたらしいんですが、彼のなかで焼きもちがどう翻訳されているかもわからない。もしかしたら“殺意”とイコールかもしれないし。
でも「死期が迫ったら国に帰りたい」とも言っているらしく、いずれはセネガルに帰るつもりなんでしょう。そうなるともう二度と会えないでしょうし、結婚は(父と再会する)良いタイミングなのかもしれませんね。ひとまず結婚については、祖母が「私が話しておく」と言っています。
「いらない」と言われたプレゼント、捨てられないぬいぐるみ
伊藤さんご自身が、誰かに贈りものをした思い出はありますか?
小さな頃からわりと贈り物をするのが好きだったのですが、いま思えば、自分のセンスを誇示するような贈り方をしていました。友だちの誕生日にプレゼントを贈るとき、自分のお小遣いの範囲も考えず、他の子よりも高いものを贈ったりして。
友人にコラムニストの妹尾ユウカがいるのですが、彼女は世に出たのが早くて、まだ私が大学生でぼーっとしていた頃からどんどん仕事をしていました。彼女の誕生日に「ライターだから」と思って、ガラスペンをあげたんですよ。そうしたら彼女から1秒で「何これ、いらない」って言われて。言われてみると確かにそうですよね。パソコンで書いているし、彼女の趣味でもない。どこか自分の発想力を見せつけるみたいな目的で、人にものをあげていたんだと思います。
ほんの最近までそういうものの贈り方をしていたのですが、人からよくものをいただくようになると、本当に相手のことを考えて、喜んでもらえるようなものを贈りたいなと考えるようになりました。ジェーン・スーさんと親しくさせてもらっているのですが、スーさんは本当に私の必要なものを、必要なときに贈ってくださるんです。「これ、いるでしょ?」って。私もそうしたいなという気持ちが、最近やっと芽生えてきました。
どうして心境が変化してきたのでしょう?
相手のことを考えられる余裕がなかったんでしょうね。自分がどう見られるか、どう見られたいかばかり考えていました。やっと、ほんの少し大人になれたというか。そもそも「大切な指輪を質に入れる」なんて、ちょっと前ならこうして話せなかったと思います。見栄を張っていたというか、お金がないとは思われたくなかった。書くときもあくまで読者が楽しんでくれるかどうかを考えていましたし、いまもその大半は変わらないんですけど、最後まで隠そうとしていたのがお金のことだったかもしれない。それを書けるようになったのは、自分のためにもなっているのかなと思います。
伊藤さんご自身は、ものを大切にするほうですか?
最近思うのは、「ものを大切にする」ってどういうことなんだろうなぁ、と。わかっているようでわかっていないなと思うんです。私、小さな頃からわりとよくぬいぐるみをもらって、ずっと大切にしてきたんですが、ぬいぐるみって捨てづらいじゃないですか。これまでもらってきたぬいぐるみを全部ベッドに並べてみたら、自分の寝る場所がなくなっちゃって。
「もうボロボロだから」とか「もう大人だから捨てよう」とか、そういう決断もできるはずなのに、結局そのまま実家にあって。これって本当に「大切にしている」ということなんだろうか。然るべきタイミングで然るべき扱いができないのなら、大切にしていると言えるんだろうか、と思うんです。
子どもの頃のものを、実家に全部預けたままの人は多そうですね。
いつの間にかおかあさんが捨てて、「なんでそんなことするの?」と言いつつ内心ちょっとホッとしたりして(笑)。でも、もらった人の思いを大切にするって、それをいつまでも手放さないことだけじゃないなと思って。あげた人は何を思って、自分にものを贈ってくれたのか。ぬいぐるみも指輪もそうですが、ものをいつまでも大切にしまいこんでおくより、相手の気持ちのほうにもっと目を向けていかないと、どこかで自滅してしまうのかもと思います。
「なんでもないよ」という顔で、ここにいたい
noteをきっかけに文筆業をはじめられて3年以上経ちますが、何か変化はありますか。
ちょうど昨日、駅のホームで声をかけてくださった人が「亜和さんの本が好きなんです」と、泣きながらおっしゃってくれました。何かとんでもないことをはじめてしまったのではないか……と、少し怖くなることはあります。
DMでも「先日母が亡くなったのですが、最期に読んでいたのが『存在の耐えられない愛おしさ』でした」と教えていただいたこともあって。そんなことがあって良いのか?と思いますね。「人に影響を与える」という意識がないまま書きはじめてしまったので、ちゃんとしなきゃいけないな……と思いながらも、やっぱり自分が楽しくいられるのは大前提でいたいなと考えています。
最近ではテレビにも出演されて、反響は大きいでしょうね。
わりと浅はかな考えで、求められているならば、とありがたくお引き受けしています。とにかく目立ちたいというか、私がいることを知って欲しい、普通にここにいるんだ、という思いでここまで来ました。
テレビには、私みたいな人がほとんど出てこないし、出たとしても“イジられる”というか、キャラクターとして見られているような……みんなの一員とみなされていない疎外感がありました。もし私みたいな人がドラマに出たとしても、メインの登場人物ではなく、本筋のストーリーとは関係ない“謎の秘書”みたいな。
わかりやすく属性や設定に当てはめられて、個人として見てもらえないこともありそうですよね。言葉を尽くさなければならなかったからこそ、磨き抜かれた言語感覚だとも感じます。
その説明をする余地がないと「謎」でひとくくりにされたり、「スポーツや音楽が得意」みたいなステレオタイプに当てはめられたりしてしまう。「なんでもないんだよ」っていう顔をつねにしていたい。別に「後世のため」と思っているわけじゃないけど、公の場にしれっと私みたいな人が顔を出すことで、結果的にあとに続く子どもたちが少し生きやすくなれば良いな、と思います。
それでもやっぱり、怖いことは怖いです。公に出るのは責任の重さも伴いますが、だからと言って当たり障りのない人生を生きていくつもりはないです。私がなにか話したり書いたりすることで、人生が変わる人もいるだろうし、傷つく人もいるでしょう。でも生きている以上、まったく傷つかない人はいないですよね。傷をどうにかやり過ごしたり、いろいろと修復したりするのが人生の作業で、その人にしかない人生でもある。お互いにそうやって生きていくのが、人生なんだろうなと思います。

伊藤亜和(いとう・あわ)
文筆家
1996年横浜市生まれ。学習院大学 文学部 フランス語圏文化学科卒業。noteに掲載した「パパと私」がX(旧Twitter)でジェーン・スー氏、糸井重里氏などの目に留まり注目を集める。著書に『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)『私の言ってること、わかりますか。』(光文社)。『CREA』『りぼん』など、各媒体でも連載中。