他者を通して自分を知る。haru.が捉える、変化の“あわい”への葛藤と楽しみ方

取材・執筆:むらやまあき
撮影:田野英知
編集:瀬尾陽(awahi magazine編集部)

東京芸術大学在学中、“同世代と一緒に考える場を作る”をコンセプトにしたインディペンデント雑誌『HIGH(er)magazine』を立ち上げたharu.さん。現在は株式会社HUGの代表を務め、バンド・羊文学のアートディレクションを手掛けるほか、2024年にはインナーウェアのブランド『HEAP』を立ち上げるなど、活動の幅を広げています。

「ものや人間関係における役割には、あまり執着がない」というharu.さん。そんな彼女は、誰かに贈り物をするときに何を思うのか。そして、周囲から受け取ったものは自身やクリエイティブにどんな影響を与えているのか。30歳を迎え、まさに変化のあわいにいるharu.さんに、正直な気持ちを語ってもらいました。

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“つなぐ”ための贈り物はしない。安定した関係性に風を通す

haru.さんにとって、贈り物をしたり、されたりするのはなじみのある行為ですか?

うーん……じつはそこまで(笑)。というのも、誕生日や記念日だからといって、何かあげなきゃと思うタイプではないんです。パートナー(ラッパー/クリエイティブディレクターのTaiTanさん)とも、毎年プレゼントし合っているかというとそうでもないし。特別な日かどうかではなく、自分がその人に“いま”感謝を伝えたいなと思うタイミングで、プレゼントをすることが多いですね。

あとは、旅先で普段見かけないようなものに出会ったときに、「あの子にあげたいな」と頭に浮かんだ人にプレゼントしたりとか。そういう買い物の体験が個人的に好きなので、関係性をつなぐための贈り物はあまりしないかもしれません。もちろん、折々できちんと贈り物をすることを大事にしている人も、素敵だなと思います。

贈り物をしたい相手がいるとして、ものを選ぶときはどんなことを考えていますか?

常に裏切っていきたい、ですかね。付き合いが長くなれば、相手の好きなもの、欲しいものもある程度わかるけれど、「それは自分で買えばよくない?」と思ってしまうんですね。それに、人との関係性って良くも悪くも安定していきますよね。だからこそ、あえて相手にとって意外なものを贈ることで、一回風を通すという感覚です。

たとえば、ソリッドでかっこいいおうちに住んでいる友人に、(防腐・防カビ加工した)本物のパンを使ったトースト型のユニークなランプをあえてプレゼントしたりとか。パートナーの誕生日に、紙粘土でつくった人形をあげたこともありました。

書籍やアルバムからマスコットまで、数々のコレクションが飾られた棚をバックに、笑顔で語るharu.さん

決して無難なプレゼントではないですね(笑)。

それを面白がってくれるとわかっている相手だからできることではあるけれど、逆に言えば、お互いの関係性があれば贈り物って何でもいいと思う。誕生日だからといって、高価なもの、世間的にふさわしいと言われるものじゃなくてもいいよねって。

私自身、そこにはこだわっていませんが、“彩り”を贈りたいという気持ちは強いかもしれません。旅先でカラーバリエーションがある可愛い小物を見つけたら、それぞれの色で思い浮かぶ友達みんなに買っていったりとか。

その背景にあるのは、どんな気持ちなんでしょう。

色は心の状態とすごく密接だから、日常的に色で遊ぶのってすごく大事だと思うんです。その日、どんな色を選ぶかで、自分でも気づいていないような“いまの気分”がわかったりしますよね。つまり、色で遊ぶことは、自分自身と向き合うきっかけになるんじゃないかなって。だから、私が贈り物をするならただかっこいいものではなくて、彩りのあるものを贈りたいですね。

「他者を通して自分を知る」を繰り返してきた

では、haru.さんが誰かからもらって、大切にしている贈り物はありますか?

子どもの頃に家族でイタリア旅行をしたときに買ってもらった、聖フランチェスコのイコン(聖画像)ですね。聖フランチェスコが鳥に餌をやっているモチーフがすごく気に入っていて、ベッドサイドの棚にずっと飾っています。ちょっと脱線しちゃいますけど、もしかしたら私の前世は鳥だったんじゃないかと思うことがよくあるんです。

無性に鳥にシンパシーを感じる、とか。

シンパシーというより、なぜか昔から鶏肉が苦手で、見ると一瞬「ウッ……」となってしまうんです。この説明がつかない嫌悪感は、もしかしたら自分と何か関係があるのかもしれないぞ、と(笑)。

ものにあまり執着がないので、いらなくなったものを手放すことに躊躇はないんですが、このイコンのように自分のルーツを感じるものは、気づいたらずっと飾り続けていますね。一緒に飾っている小さなお守りボックスにも、そういうこまごましたものがたくさん入っています。

その棚には、haru.さんのルーツらしきものがいっぱい詰まっているんですね。

そうですね。あと、“贈り物”と聞いて思い浮かんだのは、何度か一緒にお仕事をしていている台湾のデザイナーのAvaさん(Misty Fountain)のこと。依頼していた衣装を日本に送ってくれるときに、毎回ものすごく可愛い手づくりのギフトやお手紙を添えてくれるんです。

もちろん、もの自体も嬉しいんだけど、何よりそこから伝わってくる彼女の気持ちに感動して。受け取る人のことをこんなに真摯に考えて、海の向こうから気持ちを込めて贈ってくれる。それってすごいし、彼女はちゃんと愛情を知っていて、相手との信頼を構築することを恐れない人なんだろうなって思うんですよね。

たしかに、純粋な思いをそのまま相手に差し出す、というのはある意味勇気がいることですよね。

不思議ですよね(笑)。重いと思われたら嫌だから、一言メモを添えるだけでもなんとなく躊躇してしまったりとか。とくに仕事だと、そういう心遣いや温度感みたいなものは排除されがちだけど、いざ受け取って嫌な気持ちになる人ってあんまりいないと思うんですよ。むしろ、私を含めて嬉しいと感じる人も多いはずで。

結局どんな仕事も人と人とでやっていくものだし、信頼関係が最終的なアウトプットにも大きく影響するじゃないですか。だからこそ、そのハードルを自ら果敢に、そして平然と超えていくのが大事なのかなって。「あなたのためを思って」ではなく、「自分がしたかったから」くらいのテンションだったら、相手も受け取りやすいですよね。

贈る側としても、変に相手に見返りを求めずに済みそうです。

そう。彼女のそういうコミュニケーションにはいつも感銘を受けるし、自分もそうありたいなと思います。私自身、サンプルのやりとりや色校には、ちょっとメモを添えたりするようになりました。

ちなみに、家族や周囲の人から受け継いで大切にしているものはありますか?

ものではないですが、亡くなった祖母からはいろいろなことを受け継いでいると思います。映画が好きで、ジャーナリスティックな視点を持っている人で、『シネクラブ・フラウエン』という自主上映の企画・運営をする女性グループで、アジア映画、ドキュメンタリー、女性監督作品をを自主的に上映する活動をしていたそうです。私が子どもの頃、おばあちゃんに連れられて、せんだいメディアテークの映画館で初めて観た映画がチャップリンの作品でした。

子どもだからといって、見くびらない感じがいいですね。

そうなんです。私が映画の登場人物たちをお絵描き帳に描いておくと、夜寝ている間におばあちゃんが色をつけてくれて。そのやりとりがすごく楽しかったのを覚えています。私のものづくりのルーツであり、新しい世界をたくさん見せてくれた人。マガジン制作を一番応援してくれていたのも、おばあちゃんなんじゃないかな。

棚に並べられた収納用の紙袋の一つに、haru.さんの祖父の写真が貼られている。

そんなふうに、周りにいる人から気づいたら“受け取っていた”ものやことは、haru.さん自身や活動にどんな影響を与えているのでしょうか。

なんでしょう……。私自身には、そんなに色がないと思っているんです。見た目やファッションに特徴があるわけではないし、器用でもないから、相手に合わせて自分を変えることもできない。でも、私が気負わずにそのままでいることで、相手もリラックスしてくれているなと感じる瞬間が、人生の中でたくさんあったんですよね。

なかなかオープンにできない本心を話してくれたり、何気ない会話が思いがけない方向に展開して盛り上がったり。絵が上手いとか、ダンスができるとかそういうわかりやすい特技ではないけれど、リラックスした空気をつくることがたぶん、私の得意なことなんだろうなって。これも、周りの人と話すなかで見えてきた自分なんです。

他者を通して自分を知る、というか。

私の人生、ずっとその繰り返しですね。そういう人間だからこそ、フラットに人が集う場所をつくることをずっとやってきた気がしていて。その場を通して、一人ひとりが自分と向き合って、またそれぞれの活動にときめきを持って取り組んでいる状態をつくれたら、幸せだなと思います。直接的に関わりがなくても、各々の領域で一生懸命取り組んでいる姿を認識するだけですごく嬉しいし、しばらくしてまた「話したい!」と思ってくれたときに、いつでも戻ってこられる場所でありたいという気持ちは強いかもしれません。

そう思える存在が周りにたくさんいるのは、すごく素敵なことだなと思います。

私の感覚では、友達ともまた違うんですよね。強いつながりは感じるし、自分のものすごく大事なところを差し出している感覚もある。一緒に何かをやるときは、みんなで想像もしなかった場所にいけるように、リスペクトをもって全力でやりたいと思っています。でも、必ずしも生活のすべてを共有しなくていいし、頻繁に会わなきゃとも思わない、みたいな。

人間関係においても、私は良くも悪くもそんなに執着がないので(笑)。ただ、そういう友達とはまた違う信頼関係でつながっている人たちの存在や、一緒に積み重ねてきた時間は、活動する上での大きな力になっているなと思います。

鮮やかな赤色のパンチングボードに飾られた、haru.さんのコレクションの数々

変化の間(あわい)で生まれた初めての葛藤

30歳を迎え、haru.さんの中で今までになかった変化を感じる瞬間はありますか?

ゆるやかに変わり続けている感覚はあります。もう少し若いときは、世間的にセルフプロデュースが重要と言われていることを受けて、自分をどう特徴づけて見せていくかを一瞬考えたこともありました。でも、結局どうしたいとか、こういう存在になりたいって、私にはあんまりないんですよね。先ほども「自分には色がない」と言いましたが、まあそれでいいかなとポジティブに捉えています。

ただ、ここ最近の変化でいうと、いま自分の中でまだポジティブに捉えられていないことがひとつあって。私はからだの変化にかなり敏感な10代を過ごしてきて、これまで性やからだに関することをひとつのテーマに、マガジンの制作をしてきたんですね。

そんななか、少し前に文化人類学者の磯野真穂さんとお話する機会があったんです。磯野さんがこれまで研究してきた摂食障害というテーマに対して、自分自身が年齢を重ねることでどうしても切実さが失われてきてしまったとおっしゃっていて。そうなったときに、まだこのテーマを自分の人生で扱い続けるのか、という葛藤があると聞いて、胸にグサッときたんです。「うわ、そうだよな」と。

haru.さんも近しい問題に直面していた、と。

はい。性やからだに関することは、私にとってほぼ唯一の執着ともいえる、ものづくりに欠かせないテーマです。ただ、年齢を重ねていくなかで、自分の価値が見た目やからだではないと身をもって思えるようになってきた。それは過去の傷が癒えてきたということであり、私自身にとってはすごくポジティブな変化だと思っています。一方で、当事者ではなくなったことでテーマとの距離ができてしまったということでもある。

なるほど。たしかに、当事者性が薄れるほど、以前ほどの切実さを持って語ることは難しくなりますよね。

渦中で切実に悩んでいる10〜20代の子たちのためにできることをしたいという気持ちは、いまもまったく変わらないし、自分の当事者性が薄れたからといって、その場から立ち去っていいわけではないと思っています。性教育も含め、ある程度大人が推し進める必要性も感じていますし。

ただ、自分の言葉で語ることが一番届くという実感があったからこそ、いまの私が紡いだ言葉が同世代には届いても、10〜20代の子たちには届かないかもしれない。

彼らに長期的にアプローチするには、これまでのやり方ではない、ベストな方法を探っていかなければならないなと。いままさに自分でも体験したことのない未知の領域に足を踏み入れようとしているので、悩みながらもこの状況をなるべく楽しんでいきたいなと思っています。

haru.(ハル)

クリエイティブディレクター

1995年生まれ。幼少から日本とドイツを行き来して育つ。東京藝術大学在学中にインディペンデント雑誌HIGH(er)magazineを編集長として創刊。2019年に株式会社HUGを立ち上げ、クリエイティブディレクション事業を展開。オルタナティブロックバンド「羊文学」のアルバムアートワーク他、化粧品ブランドORBISのpodcast番組「月曜、朝のさかだち」のパーソナリティを務める。2024年には"人生の主役になるための下着"をテーマに、インナーウェアブランド「HEAP」をローンチ。ブランドのコンセプトブックとしてHIGH(er)magazineを5年ぶりに復刊する他、雑誌の世界観を拡張したPodcast番組「take me high(er)」を配信中。