日常に偏在する関係性を見つめ直す。友達、あるいは溢れ出る「名付け得ぬ関係性」って?──石田光規×Rachel

執筆:生湯葉シホ
撮影:廣田達也
編集:小池真幸/瀬尾陽(awahi magazine編集部)

バディものやシスターフッドものなど、恋愛やパートナーシップではないかたちの精神的なつながりを描いたフィクションは数多くあり、それはしばしば「友情」という言葉で名指されます。

しかし、私たちが生きる現実社会における人との関係性は、もっと多様かつ複雑であるように見えます。その中には、必ずしも強固な絆では結ばれていなくとも、ある種の信頼関係によって成り立つ、既存の言葉では名付けがたい関係性もあるかもしれません。

友情とはまた異なる関係の「あわい」には何があるのか──。『「友だち」から自由になる』(光文社新書)などの著作を持つ社会学者の石田光規さんと、ラップユニット・chelmicoのRachelさんに、友情や、そこから溢れる名付け得ぬ関係性をテーマに対談していただきました。

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IDと紐づいた人間関係

Rachelさんは、人間関係に対してポジティブなマインドを持っているイメージがあります。以前も「人間関係を自分から切ったことがない」とポッドキャストの中で語られていましたが、「友情」をどのようなものとして捉えていますか?

Rachel

うーん……難しいけど、友達は多いほうだと思います。いま言ってくれたポッドキャストの中では、友達をやめるときに「人間関係を切る」みたいな言い方をする人が多いって話をしたんですけど、私はいままで一度もそういうことをしたことがなくて。亡くなった人以外で会えない人がひとりもいないんですよ。でもそれって結構珍しいのかもって、反響をたくさんもらって気づいたんですよね。……え、(人間関係を)切ることってあります?

石田

僕もあまり切ることはしないですね。そもそも人間関係を「切れる」ようになったのって、人間関係をスマホで管理・可視化するようになってからだと思うんです。スマホ以前の時代は基本的に、引越しや進学といった節目で関係が自然と途切れることはあっても、切ることはできなかったと思うんですよ。

Rachel

そうですよね。でも石田さんの本の中にも書かれてたけど、考え方が合わない相手がいたら、自分の意見を伝えずに関係を切っちゃう人がいまは多いんだなと思って。みんなケンカしないんですね。私はケンカ、めっちゃしますけどね。

石田

学生はよく、一度ケンカしちゃうともう仲直りできないって言うんです。でも仲直りって、必ずしも義務にしなくてもいいと思うんですよ。何か気に障ることがあって連絡が途絶えたとしても、半年とか1年くらいの時間をかけて関係を冷却するというのはよくあることですから。どちらかが連絡したくなったら自然とするでしょうし、無理して仲直りする必要もないんじゃないかなと。

Rachel

それができないから「切る」になっちゃうのか。

石田

いまはおそらく、関係を切るとなったらブロックをするだとかIDを削除するといった“儀式”を伴うんですよね。だから現代は、関係性というものがほとんどID一択になりつつあると思うんです。これまでは「会社の同僚だから」「同じクラスだから」といった理由でつながっている関係が無数にあったけれど、いまの学生の場合は、仮に同じクラスにいてもLINEやInstagramのIDを教えてもらえるかどうかが関係の入り口になってしまうので。

Rachel

たしかに入り口は変わったかも。子どもの頃なんて、「友達になろうよ!」って言われることが多かったですね。

遊びにも「アポイントメント必須」の時代

石田

僕が子どもの頃なんてもっといい加減で、人の家の前に自転車で勝手に行って「遊ぼう」って声をかけて、忙しいと言われたらまた次の家に行くみたいな感じでしたよ(笑)。

Rachel

それめっちゃやってた!でもSNS以前ってそうでしたよね。なんかいま、みんな忙しくないですか?(笑) 先々までアポがとれないことが多すぎて。そうなるとどうしても忙しい人ほど優先しちゃうというか、「この人は別にいまじゃなくても会えるか」って選別が発生しちゃうから、自分の中の優先度みたいなものが見えやすくなってるのかもしれない。

石田

スマホを使っている時点でどうしても、選別の過程が入ってしまうんですよね。仕事や授業のあとにその場にいる人たちで食事に行こう、ではなく、スマホを使って誰を誘うか考えているという時点で、自分が会いたいと思っていて、なおかつ会ってくれそうな人に優先的に連絡することになると思うんですよ。

石田さんの著書の中では、社会学者の辻泉の言葉を引いて、そういった現象を「友人関係の自由市場化」と説明されていましたね。

石田

端末を軸に何百、何千という関係性があり、その中から自分に最適なものを選ぶというのはまさに市場ですよね。それを相手も受け入れてくれたらマッチングに至る、というのが現代的な考え方なのだろうと思います。

事前のアポイントメントが必須になっているという点は、現代においては子どもでも同じなのでしょうか?

石田

そうだと思います。たとえば僕の子どもはいま小学生なんですが、誰かと遊びに行くときは必ずあらかじめ約束をして、何時にどこ集合と伝え合っていますね。

Rachel

へえ~、すごい!小学生もそんなに忙しいんだ。私のときはチャリで駄菓子屋か公園に行ったら誰かしらいる、みたいな感じだったのに。

場所によって切り替わるキャラクター

石田

Rachelさんはいまでも、知り合いと約束せずにパッと出かけたりすることがわりとあるんですか?

Rachel

私は職業柄クラブに行くことが多いので、クラブでたまたま会った知り合いとそのままラーメンに行くみたいなことはありますね。だから私の場合、クラブで会った人は「友達」って呼べる関係になりやすくて。たとえば石田さんくらい歳が離れてたり、普段いるジャンルが違ったりする人でも、仮にクラブにいたら「おお!」みたいなノリで声をかけられるんですよ(笑)。その場所にいるってことは、そこに行くのをその人が選択したってことだと考えると、「共同体」感みたいなものが生まれるんですよね。それによって人間関係における障壁が1枚なくなるのかなと思います。

石田

場所が垣根を壊してくれているわけですね。同じ場所に足を運んでいるというだけで、話題のフックも生まれますしね。

Rachel

そうそう。同じ気持ちでここに来たんだろうなって考えたら、自分と近い存在なのかもって思いますよね。そんなに知らなかった人でも親近感を覚えます。

石田

もう少し年配の人にとっては、おそらくスナックがそういう役目を持った場所だったと思うんです。名前も知らないけれど、店では決まって「〇〇ちゃん」と呼ばれている常連客がいて、なんとなくその人と話したりして。それは友達とはまた少し違った関係性という気がしますよね。

場所が変わると、自分の振る舞い方やキャラクターも自然とスイッチできる感覚があるのでしょうか?

Rachel

私はありますね。クラブに行ってボソボソ喋ってるわけにもいかないから、ちょっとキャラが変わるかも(笑)。声のトーンも変わるし。でもそれってわりとあるあるじゃないですか?好きな人の前だと猫被っちゃう、みたいな感覚の平行線上だと思います。それに、「この場所にいるときの自分が好き」とかもありますよね。

石田

僕も授業のときと研究会のときではある程度キャラは違うはずですし、それがふつうだと思いますけどね。僕の研究室にはキャラクターの研究をしている学生も多いのですが、学生にアンケートをとると、自分のキャラを「お調子者」と評価している人が多いにもかかわらず、同時にほとんどの学生が自分は「陰キャ」だと答えるんですよ。おそらく、そのほうが楽なんだと思うんです。仮に場が盛り上がらなくても、自分が陰キャということにしておけば納得がいきますし。

Rachel

あと、陽キャを共通の仮想敵にするとまではいかなくても、「私たちって陰キャだしね」って言い合ってるほうがチーム感が出て話しやすいのかもしれないですね。それによって自分たちのアイデンティティが強固になるのかな。

キャラクターの分類という点では、近年ではMBTI診断が社会現象になっていますよね。個人のみならず、企業による新卒採用の動画などでもMBTIを入り口に社員を紹介していることが多々ある印象です。

Rachel

友達同士でも「あの人は絶対E(外向型)だよね!」とか言い合ったりしますよね。私はそんなに興味ないけど、人から言われることは多いかも。

石田

学生は最近、自己紹介で最初にMBTIを必ず言うようになりましたね。自己紹介がとにかく緊張するという人が多いらしく、ここ2〜3年は学生たちが自主的に自己紹介のテンプレートをつくるようになったんですよ。その中にMBTIが入っているんです。好きに喋ればいいのにとも思いますけど、好きに喋ると失敗する人が出てくるかもしれないから、という配慮なんでしょうね。

階層化していく「友達」

Rachelさんは、どういった関係性の相手を「友達」と呼んでいますか?

Rachel

私の場合は、ケンカできる人は友達で、ケンカできない人は友達じゃないかな。だからさっきの話にあった、最初からIDでつながって「友達」ってラベリングをして、友達関係を維持するためにケンカしないようにする……っていうのとは逆かもしれないです。

石田

ある程度の熟成期間があって、ケンカができるような関係になってきたら「友達」になる、という感じですか?

Rachel

そうですね。だからSNSで「今日、友達とごはんに行ったんだけど」って書こうとして悩むこともあります。友達って言っていいのかな?「知り合い」だとちょっと寂しいか?って。この前もちょうどそれで悩んで、結局、下書きのままで投稿できなかった(笑)。友達って言いたかったんですけどね。

石田

相手がどう思っているかもわからないですし、難しいですよね。仮に友達になったとしても、それがずっと続くわけでもないですし。

石田さんは、どのような関係性の相手を「友達」と呼んでいますか?

石田

僕は親しい相手のことも「友達」とは呼ばず、全員「知り合い」という呼び方に統一しています。出会った人たちを「友達」の水準を満たしている相手かどうか判定するような感覚から、距離を置きたいという思いがあるんです。趣味でボートをしているんですが、SNSでそれについて書くときも、「ボートを一緒にしている人たちと」みたいな表現を使います。

Rachel

向こうは「水臭いなあ」とはならないんですか?

石田

そう思う人もいるかもしれないですね。まあでもいいか、と(笑)。

Rachel

そうか~。私の場合はまずケンカできる/できないがあって、それプラス、相手が本当に困ってるときに助けられる人だったら「親友」になるかも。お金を貸せるかどうかがひとつの境目、みたいなこともよく言いますよね。

石田

悩ましいのは、ラベリングするというのは、相手を階層化するのと同じことなんですよね。「その他の人」の上に「友達」がいて、さらにその上に「親友」がいる、というように、あるグループが別のグループの上位互換になってしまう。一度「親友」とラベル付けしてしまうと、「親友だからこうしなきゃ」という考えに縛られてしまう場合も出てくると思うんです。

Rachel

たしかに、それで苦しんでる人も結構いますね。たぶん、交際相手っていうラベリングとも同じですよね。そういうふうに名付けなければずっと会えるのに、「彼氏」になると付き合うとか別れるとかが発生して、結果的に会わなくなっちゃうこともあるのって意味わかんないなって。そう思うと、たしかに友達の場合も「知り合い」に留めておけば、会わない期間があるのも自然なのか。

石田

よく会う時期もあればまったく会わなくなる時期もあるけれど、まあそういうものかな、とは思いますね。

Rachelさんは2人組のラップユニット「chelmico」として活動されていますが、chelmicoはお互いを「友達」と呼んでいますよね。Rachelさんにとって、相方のMamikoさんはいまもビジネスパートナーというより、友達同士であるという感覚のほうが強いですか?

Rachel

そうですね。chelmicoの場合は「友達」って意識的に言うようにしてる部分があるかもしれないです。仕事の時間のほうが長くなってくるとどうしてもビジネスパートナーになってきちゃうから、それを避けたいと思って。私自身はあんまりないんですけど、やっぱり、友達としては許せてもビジネスパートナーとしては許せないようなことが出てくるシーンもあると思うんですよ。そういうときに相手に気を遣わせたら嫌だなと。

会話は、漏れ出てくるくらいがちょうどいい

友達としては許せてもビジネスパートナーとしては見過ごせないようなトラブルが仮に起きた場合、Rachelさんはどうしますか?

Rachel

自分がいまどんな立場で話してるのか、最初に言うかもしれないです。「これはビジネスパートナーとして話すんだけど」とか「これは友達として話すんだけど」って、切り分けています。でも、我慢せずに意見を言うには言うと思います。私、すべての問題は我慢から生まれると思ってるので。我慢するからつらいって、めちゃくちゃふつうのことだけどみんな意外と気づいてないですよね。プライベートにおいても仕事においても、人間関係がこじれるのってたいてい我慢のせいじゃないですか?

石田

おそらく、「我慢」と「作法」が近い距離にある人が多いんでしょうね。本人にとっては作法のつもりであっても、傍から見るとこの人すごく我慢してるな、と感じることってよくありますよね。

Rachel

本人は義理とか礼儀でやってるつもりなんだろうけどそれが我慢になっちゃってるっていうパターン、たしかによく見ますね。chelmicoのファンは自分たちより少し下の世代の子たちが多いので、私よく「コミュニケーションをがんばんなきゃだめだよ!」って言うんです。もっと自分の意見を言ったほうがいいのにって。

石田

たぶん、がんばるといっても、いかに相手を傷つけないか、いかにその場での会話を心地よく終わらせるかというがんばり方なんでしょうね。

Rachel

そうそう。相手を傷つけたくないからこそ言葉を選んじゃうんだと思います。そもそも自分の意見がわからないとか、「友達のことをウザいと思っちゃいけない」って言う子も多くて。だからずっと私は、「別に思ってもいいんだよ!」って言ってるんですよ。でも、そういう練習ができる場所がそもそも少ないんでしょうね。やっぱり、何かあったら関係を切られちゃうから。

石田

そういうとき、同じコミュニティに留まって相手と頑張って話そうとするよりも、Rachelさんがさっきクラブに行くとおっしゃっていたみたいに、違う場所に足を向けるほうがむしろいいんじゃないかと思うんです。付き合う相手をあらかじめ決めておいて、その輪の中だけで交友関係を育もうとすると、自分をどこまで開示するかでどうしても悩んでしまうのではないでしょうか。

Rachel

たしかに。場所があるとそういうとき、誰かしらに会えますもんね。コミュニティは複数あったほうが絶対にいいと思います。

石田

それにクラブや職場のような場は、次に会う機会を自分たちで用意しなくてもいいから楽なんですよね。

Rachel

オーガナイズが大変なんですよね……あ、でも、そういう意味では私、わりと積極的にオーガナイズしてます。お花見会とかボードゲーム会とか、最近だとみんなで牡蠣を食べる「牡蠣会」とか。あらかじめコンセプトをひとつ持たせておいて、その場によければ来てねって形で人を集めることが多いかもしれない。

石田

それはいいですね。合コンのように、コミュニケーションそれ自体が目的になってしまうときついこともあるじゃないですか。会話はその場で漏れ出てくるくらいがちょうどいいのかもしれない、と思うんです。

Rachel

たしかに。最悪、その場ではそんなに仲良くなれなくてもいいですしね。

石田

だから僕は自分のゼミの卒業生向けに、年に一度「授業」を開いてるんです。あくまで授業なので、ただ聞いてそのまま帰ってもらってもいいし、そのあと懇親会に行ってもらってもいいし、という形なんですよ。

Rachel

授業って時点で、卒業生にとっても絶対に得るものはありますもんね。なるほど。いいな~それは!

石田 光規(いしだ・みつのり)

1973年神奈川県生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。博士(社会学)。大妻女子大学専任講師・准教授、早稲田大学文化構想学部准教授を経て、2016年より現職。内閣官房「孤独・孤立対策の重点計画に関する有識者会議」メンバー。『孤立の社会学』(勁草書房)、『「人それぞれ」がさみしい ―「やさしく・冷たい」人間関係を考える』(筑摩書房)、『「友だち」から自由になる』(光文社)など著書多数。

Rachel (レイチェル)

友達2人組で結成されたラップユニットchelmicoのメンバーでラッパー。2018年にワーナーミュージック・ジャパンのunBORDEよりメジャーデビュー。インディーズ活動を経て、2018年にワーナーミュージック内のレーベルunBORDEから待望のメジャーデビュー。これまで『POWER』『Fishing』『maze』『gokigen』と4枚のアルバムをリリースし、ラッパーとして成長し続けている。コマーシャルソングやドラマのテーマソング、アーティストへの楽曲提供、客演など、様々な方面で活動中。